歌舞伎は、17世紀ころから庶民の娯楽として発展した演劇で、主に大阪や京都などの上方と江戸の周辺で上演されていました。
歴史上の出来事や当時の注目を集めた事件、あるいは一般的な生活の中でのいざこざや恋愛などを題目とすることが多く、何度も禁止されたり規制されたりしながらも、特に庶民の間での根強い人気を受けて現代まで存続してきた、まさに江戸時代から近代までの娯楽の代表といえます。
町民から武士まで、幅広い層に愛されていたことや、まず最初に上方で発展し、それがやがて江戸で独自の進化を遂げている点は、日本酒の歴史と類似しているといえるでしょう。
その為か、落語などと同じように「お酒を飲む」シーンが多くの演目の中に見られます。
その中でも、特徴的なものや有名なものを、いくつかご紹介します。
魚屋宗五郎(「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の一幕)
あらすじ:
宗五郎という、棒に桶をぶら下げて品物を売り歩く棒手振りの魚屋が主人公。
彼はもともと大酒のみの酒乱だったが、妹のお蔦が磯部主計之助という武家に妾奉公に出、そこで不義を犯したということで殺されてしまってから、喪に服して酒を断っていた。
しかし、実はお蔦は無実で、うそを吹き込まれた磯部がかっとなって殺してしまったのだ、と聞かされると、あまりの悲しさと悔しさに断っていた酒を飲み始める。
やがて、泥酔した宗五郎は怒りに身を任せ、磯部の屋敷に殴り込みをかけ・・・。
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明治時代に作られたお話で、「新皿屋舗月雨暈」全て繋げるとかなり長いため、現代ではその一部だけを抜き出して演じられることが多いようです(他の演目についても同じことが言えます)
妹の死を悼み酒を断っていた宗五郎が、その死の真実を聞かされて酒を飲み、酔うごとに感情あらわに乱れていく様子が見所。
泥酔する宗五郎の台詞や暴れぶりは、ヤケ酒を飲んだことのある人であれば痛いほど共感できてしまうかもしれません。
棒しばり
あらすじ:
曽根松兵衛という地方大名が、自分が出かけている間に家来二人が勝手に酒を飲んでしまうので困っていた。
そこで一計を案じ、出かける前に一人の手を棒に縛り付け、もう一人を後ろ手に縛ってしまう。
これで勝手に酒を呑めまい、と安心して出かける大名だったが、家来二人はかえって意地になり、両手を縛られたままあの手この手で酒を呑みはじめる・・・。
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伝統芸能のひとつ「狂言」のお話が元になっています。
ですので、舞台背景や時代設定(室町時代くらい)、登場人物の名前(太郎冠者、次郎冠者)などが、狂言のそれに似ていますが、こういった演目を「松羽目もの」と言います。
お酒を勝手に呑むことを咎められ、両手を縛られている状態にもかかわらず、二人で協力してなんとかお酒を呑んでしまう、動きの意外さやおもしろさがポイント。
現代のコントなどにも通じる部分があるのではないでしょうか。
しかし、江戸時代以前のお酒といえば、神事に使われたり特別なときにだけ飲める貴重な飲み物でしたので、これを勝手に飲んでしまうというのは、江戸時代以降とは困る次元が違います。
それを、両手を縛って置いてく、くらいで済ませているのですから、この大名はなかなか懐が広い人なのかもしれませんね(結局、また呑まれてしまうんですが・・・)
釣り女
あらすじ:
良い齢になっても妻を娶ることのできない大名が、家来を連れて願掛けをするために都へと出かける。
あまり役に立たない家来とどたばたとやり取りをしつつもなんとか目当ての神社にたどり着いて願掛けをし、その夜はそのまま泊まることになった。
神社の中で寝ていると、夢の中で「西の門の階段に妻がいる」というお告げが。
目が覚めた大名は喜び勇んで西の門へ向かう。
しかし、そこには女性ではなく一本の釣竿が。
どうやらこれで妻を釣れということらしい、と釣りをする大名。すると・・・。
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これも「松羽目もの」のお話です。
松羽目ものは狂言が元になっていますのでどれも基本的には笑い話ですが、この話は特にいい加減な性格の家来がいい味を出しています。
大名が恵比寿さまに願掛けにしに行くといえば「絵に描いてあるからえびすさま、自分は木に描いてあるきびすさまに願掛けをする」と言い出したり、都を知ったかぶりでデタラメに案内したり(しかも、大名がいちいちそれを信じるのがまたコミカルです)。
その分、オチでしっかり酷い目にあうのですけどね。
ところで、上の説明にはお酒が出てこないのですが、実はこのあと結婚の場面があり、そこで三々九度をします。
ちゃんとした結婚式の描写は出てこないのですが、「三々九度の様式でお酒を酌み交わす」ことがそのまま結婚をすることの記号として機能している、象徴的な場面といえます。
能と狂言
能と狂言は、歌舞伎と同じ「猿楽」の流れを汲む演劇の一種で、歌舞伎よりもやや難解な台詞、節回しが特徴となっています。
能は「能面のような」という言葉もあるように、演じる際に基本的にお面を使用します。
内容も、歌舞伎や狂言に比べるとやや神話的、抽象的なものが多いようです。
一方狂言は、一部の例外を除きお面は使用せず、能よりも大きく滑稽な動きが特徴。
猿楽の、滑稽さや物まねなどのいわゆる「お笑い」的な要素を発展させた喜劇で、内容も具体的、世俗的なものが多いようです。
そして、各作品にお酒の登場するシーンも、それぞれの特徴を反映したものとなっています。
安宅(あたか)
あらすじ:
源平の戦いで活躍したはずの源義経は、政権を巡って兄の源頼朝に命を狙われ奥州へ落ち延びようとする。
頼朝は、義経を捕らえるために各地に関所を設け、義経一行は当時例外的に尊重されていた山伏に変装して、これを切り抜けようとしていた。
一行が安宅の関を抜けようとした際、関守の富樫何某がこれを止め、先頭の武蔵棒弁慶に「本物の山伏ならば寄付を募るための勧進帳を持っているはず。ここで読み上げてみろ」と迫る。
当然そんなものは持っていないのだが、弁慶は手持ちの巻物をひらき、アドリブで見事な文言を読み上げて見せ、富樫ら関所の人々に山伏と信じさせることに成功。
通って良いという事になり、関を抜けようとするのだが・・・。
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有名な歌舞伎の演目「勧進帳」の元となった曲目で、内容はほぼ同じものとなっています。
弁慶の、手元にないはずの難解な文章をすらすらと読み上げてみせる教養と知性、主を救うためにあえて打ち据えてみせる忠義心と、それに感じ入り情けをかける富樫の無言の駆け引きが見所です。
疑ったお詫びとして出されたお酒を、薄々「酔って尻尾を出させようとしているのでは」と気づきつつ断るわけにもいかず、無難に受け、それとなく一向に注意を促す弁慶と、捕まえたいのか逃がしたいのか本心の見えないままに一緒に飲む富樫。
本音と建前の入り混じる深いシーンを、お酒という小道具がさらに引き立てる名場面と言えるでしょう。
猩々(しょうじょう)
あらすじ:
昔々、高風という正直者の男がいた。
彼は夢で「酒を売れば繁盛するだろう」というお告げを受け、酒売りの商いを始める。
お告げ通りの繁盛を見せる店だったが、毎日酒を買いに来る客の中に、いくら呑んでもまったく酔った様子のない老人がいることに気づく。
高風が尋ねると、老人は「自分は人間ではなく、猩々という水中に棲むものである」と言って立ち去る。
そこで、ある月の美しい晩、高風は酒を用意して川辺で猩々を待ってみることにする・・・。
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幻想的で抽象的な、能らしい曲目と言えます。
現在では、内容のめでたさから後半の部分のみを上演することもあるとのこと。
もともと神事で用いられていたお酒の、「人間だけではなく、神様や妖怪なども呑みに来るもの」という特性を良くあらわしていますね。
しかし、普段水中に棲んでいるのに人間に混じってわざわざ評判の店に酒を買いにきたり、酔っていい気分で踊ったりと、猩々たちとはなんだか良い飲み友達になれそうな気がするのは私だけでしょうか。
伯母ヶ酒
あらすじ:
ある酒好きの男の伯母が酒屋を営んでいる。
男は酒を飲ませて欲しいと通うが、伯母はたいへんなケチらしく飲ませてくれない。
おだてたり、売りに行くから味見させてくれと言ったり、あの手この手で頼むも飲ませてもらえない男は、それならと一計を案じ脅すことにした。
「このあたりには、最近人食い鬼が出る」と伯母を脅し、帰る途中で鬼の面を買った男は、そのまま鬼に化けて再度伯母の店へと向かう・・・。
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お酒を呑みたいが飲ませてもらえない男が、なんとかありつこうとして策を弄するという、落語などでもよくある設定の曲目。
正攻法でうまくいかないとなったときに、思いもよらない絡め手で来るあたりがポイントですね。その行動力を別のところで発揮したらお酒くらい買えるでしょうに。
最初はうまくいき、まんまとお酒をせしめるのですが、酔っ払ってくるとだんだん面倒くさくなっていい加減になっていくのも、良く見ているというか、身につまされる感じです。
千鳥
あらすじ:
主人から、急な客が来たから酒を買って来い、と命じられた家来の太郎冠者。
しかし、ツケが溜まっているため、酒屋は「ツケを清算するのが先だ」と言って酒を売ろうとしない。
なんとかして酒を持って帰らねばならない太郎冠者は、子供たちが鳥を取る様子や流鏑馬の様子を話して酒屋を乗せ、その隙に酒樽を持っていこうとするが・・・。
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主人からちょっと無茶なおつかいを命じられた家来が、あの手この手でお酒を持っていこうと奮闘する、現代のコントなどにも通じるわかりやすい曲目です。
何度も隙を見て酒樽と持っていこうとするも、その都度見つかって止められてしまう、という繰り返しのおもしろさが見所と言えます。
この曲目では、自分で飲むためではありませんが、お酒を何とかして手に入れようとする必死さが、今も昔も変わらないんだな、という気持ちにさせてくれますね。